「若いサポに伝えたいフリューゲルスの話」ハッシュタグまとめ
横浜フリューゲルスという、非常に強いチームがかつてあった。天皇杯が終わったらチーム消滅という状態で勝ち続け、天皇杯優勝と共にチームの幕を降ろした。 #若いサポに伝えたいフリューゲルスの話
— にいで@静岡出張 (@nii22) October 18, 2013
[ニコニコ大百科]横浜フリューゲルス
http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%82%B9
Jリーグ開幕時の加盟チーム(オリジナル10)の一つである。母体は全日空横浜サッカークラブ。チーム名の「フリューゲルス」は、「翼」を意味するドイツ語のFlugel (フリューゲル)から来ている。
同じくホームタウンを横浜とする横浜マリノスは「横浜ダービー」として激しく争うライバルであった。また、Jリーグ開幕の1993年からアビスパ福岡がJリーグ昇格を果たす1995年までの間は長崎県・熊本県・鹿児島県を特別活動地域(≒準ホームタウン)としており、この三県での人気は撤退後でもアビスパを遥かに凌いでいた。
フリューゲルスに所属したことのある選手として、前園真聖、山口素弘、楢崎正剛、三浦淳宏、遠藤保仁、ジーニョ、サンパイオ、エドゥー、モネールなどが挙げられる。
日本代表監督にもなった加茂周が初代監督。彼の代名詞でもある「ゾーンプレス」を使った、コンパクトで展開の早いサッカーが特徴であった。1993年には天皇杯を制している。
合併・消滅と涙の天皇杯
強豪チームとして名を馳せていたフリューゲルスであったが、1998年10月29日、運命の日がやってくる。出資会社の一つであった佐藤工業の業績不振による経営からの撤退、当時赤字だったもう一方の出資会社全日空にチームを支える余力はなく、チームは横浜マリノスに吸収合併されることが発覚したのだった。
「事前発表が一切なかったこと」「よりにもよって吸収合併される相手が同じホームタウンを持つ最大のライバルチームであること」などから、サポーターは猛反発した。日本中から合併反対を願う署名が集まり、最終的には50万名を超えている。
そんな中、選手は戦うしかなかった。Jリーグは後期の佳境を迎えており、すでに優勝は不可能だったが、合併発表後は一度も負けなかった。また、並行して行われていた天皇杯でも、『負けたらその時点でチーム消滅』という中で強豪チームを次々と破り、ついに決勝へと到達した。
1999年1月1日、決勝。対清水エスパルス。横浜フリューゲルスは2‐1で勝利し、最後のタイトルを手にするとともに、チームの歴史に幕を閉じた。
1999年2月1日、横浜マリノスとの正式合併により、「横浜フリューゲルス」は消滅した。その後横浜マリノスはチーム名称を横浜F・マリノスと変えている(Fはフリューゲルスの『F』である)。また、同年フリューゲルスサポーターの熱意により、横浜FCが設立されている。
以下、ツイッターハッシュタグまとめ
日本一強いクラブは日本一のまま消滅しました。 #若いサポに伝えたいフリューゲルスの話
— ツキジン (@tsuki_jin3) October 18, 2013
遠藤保仁ことガチャピンがプロデビューしたクラブ #若いサポに伝えたいフリューゲルスの話
— ヨーチャン@勝ち点バイバイン作戦続行中 (@Yochang19694) October 18, 2013
空は今もまだ横浜フリューゲルスのブルーに染まってます #若いサポに伝えたいフリューゲルスの話
— 涼@ダーティーに湘南蹴散らす (@ryp1008) October 18, 2013
Jリーグ創設期には、熊本(水前寺)・長崎(改修前の諫早)・鹿児島(鴨池)でも「特別活動区域」としてホームゲームをしてた。 #若いサポに伝えたいフリューゲルスの話
— ヨーチャン@勝ち点バイバイン作戦続行中 (@Yochang19694) October 18, 2013
エドゥー&モネールの腰振りダンス #若いサポに伝えたいフリューゲルスの話
— ヨーチャン@勝ち点バイバイン作戦続行中 (@Yochang19694) October 18, 2013
主将・前田浩二 #若いサポに伝えたいフリューゲルスの話
— nicolas(通称とりさん) (@yellow_bird25) October 18, 2013
とび丸というマスコット。今のマスコットブームの中にあればどんな風になっていたんでしょうか #若いサポに伝えたいフリューゲルスの話
— ぽえまいえぬ@M山形&Jリーグ原理主義者 (@mai_n_0809) October 18, 2013
楢崎正剛は「前所属;横浜フリューゲルス」に強い思い入れがあります。 #若いサポに伝えたいフリューゲルスの話
— ツキジン (@tsuki_jin3) October 18, 2013
エピソード・その他
横浜フリューゲルスへの思い入れが強い。ライバルの川口能活が当時マリノスにいたこともあり、フリューゲルス合併後に統合チーム(F・マリノス)へ所属するという見方はほとんどなかった。2008年の『週刊サッカーマガジン』でのインタビューでは、名古屋から移籍すると「前所属・横浜フリューゲルス」が消えるのが嫌だという発言をしている。
ハーフウェーラインから直接FKを決めたブラジル人助っ人がいた #若いサポに伝えたいフリューゲルスの話
— ひろっ太 (@hirosan0486) October 18, 2013
群馬の英雄、山口 #若いサポに伝えたいフリューゲルスの話
— テツ (@tep_9325_0909) October 18, 2013
ジーニョ、エバイール、サンパイオとかいう強力すぎる3人。からのエドゥー。 #若いサポに伝えたいフリューゲルスの話
— REDIA@ vs臙脂の鹿さん (@REDIA186) October 18, 2013
東京支援者にはトーチュウでお馴染み、前田治氏の出身クラブ #若いサポに伝えたいフリューゲルスの話
— 青赤_さめをた(見習い) (@same_ota_aoaka) October 18, 2013
森っていうすごい髪型のキーパーがいた #若いサポに伝えたいフリューゲルスの話
— てっちゅー (@xxrxtettyuxx) October 18, 2013
エンゲルス「誰でもいい、助けてくれ!」 #若いサポに伝えたいフリューゲルスの話
— REDIA@ vs臙脂の鹿さん (@REDIA186) October 18, 2013
横浜フリューゲルス時代
ライセンスを取得して日本に戻った後、横浜Fからサテライトコーチ就任のオファーがあり、Jリーグ元年の1993年にコーチに就任した。監督が頻繁に代わる中、彼は一貫してコーチであり続け、1998年はヘッドコーチを務めていたが、10月に前任のカルロス・レシャックの辞任を受け監督に昇格。それからわずか1月後、横浜Fと横浜マリノスが合併し、クラブが事実上消滅することが発表された。動揺が走る中、チームは合併発表以降、リーグ戦、天皇杯のすべての試合に勝利した。
この間、エンゲルスはホームゲーム最終戦のスピーチで「誰でもいい、助けてくれ!」と叫んでアピールするなどクラブ消滅に対して最後まで闘い、天皇杯優勝後も「ドイツではカップ戦で優勝したチームには沢山の企業からスポンサーになりたいとオファーがある。カップ戦優勝チームが消滅するなんてドイツではあり得ない」と語り、日本サッカー界に警鐘を鳴らした。
「ワールドカップでマラドーナをマークした」ことで有名な、元エルサルバドル代表・チェローナ #若いサポに伝えたいフリューゲルスの話 ・・・が、「マークした」であって、「抑えた」でないことに誰も気づいていなかったらしい(^^;)
— しじめ (@sidmer352) October 18, 2013
正直今でこそ浦和サポだしこの先死んでも浦和サポだけど、何だかんだ言ってフリューゲルスの事を忘れるなんて出来ないっす。初恋の相手の事をを忘れるなんて出来っこないからね。 #若いサポに伝えたいフリューゲルスの話
— REDIA@ vs臙脂の鹿さん (@REDIA186) October 18, 2013
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